一方、兵頭功海さんは、幼いころから野球漬けの毎日だったとか。「プロ野球選手になって有名になる。それが夢でした」。しかし、高校野球が終わり夢は破れます。燃え尽きてしまった息子に母は「東京に行ってみたら? 一人暮らしして自立しなよ」。
その言葉に後押しされ、故郷の福岡から一路東京へ。「今考えると本当に何も考えず出てきちゃった。無謀ですよね」と兵頭さんは笑いますが、野球以外でどうしたら有名になれるかを考えた時、自分の中に「映画」があることに気づきます。
「映画は親の影響で小さいころからよく見ていました。東京で何かをするなら映画に出てみたい、と」。映画の出演権をかけたオーディションに合格し、2018年、デビューを果たします。
映画を「見る」のと「出る」のでは全く違うのでは? そう聞くと、「そのときは課題のセリフを頑張って覚えて、でも、どんな顔で言えばいいのかもわからないまま終わりました」。その兵頭さんの言葉に、「お芝居って教科書がないし、感覚で身につけていくものだから難しいよね」と小関さん。そして、子役時代から仕事を続けてきた小関さんならではの「壁」について語り始めます。
「苦労したのは『反抗期』です。実は僕、反抗期がなかったんです」
小学生から中学生にかけての3年間、「天才てれびくんMAX」(NHK教育テレビ)にレギュラー出演。とにかく収録が忙しく、子どもとはいえ体力的にきびしかったといいます。そんな息子を、親御さんはときどき車で送迎してくれたそう。「ムカつくこともあったけれど、もしここで僕が反抗的な態度を取ったら送り迎えしてくれなくなるかも……と。車での送り迎えを犠牲にしてもイライラする気持ちを発散するか、ぐっとこらえて楽に移動するか、天秤にかけて移動を取りました」。そう言って笑い、こう続けます。
「物事を俯瞰して、自分の感情を抑え込む技を身につけてしまった。そんな折、反抗期の少年の役がきて。僕自身が経験していないから『怒り』という感情がわからず、苦労しました」