経済最優先の政策を掲げていた、当時のコール首相を中心とする保守的な政治家たちと「緑の党」の議員との対比はあまりにも強烈で、ショックを受けたドイツ人もたくさんいたと思います。でも若者は、「緑の党」を歓迎しました。
私の通っていた高校でも「緑の党」の議員を真似て、ヒッピーのような格好をしている生徒が大勢いました。また授業中も国会中と同じように編み物をしながら話を聞き(編み物には「抗議をする」という意味があるそうです!)、意見があるときには手をあげてはっきりと伝える。みんなで考え、議論を重ね、社会を変えていこうという雰囲気がありました。
余談ですが、後にコール首相が再選したとき、「緑の党」の女性議員は、彼を祝福するために、花束ではなく枯れた松の枝をプレゼントしていました。これには、森の衰退を食い止める市民活動に目を向けてほしいというメッセージが込められていたのです。
「緑の党」が連邦議会で発言できるようになったおかげで、どんな政策を議論する場合でも、環境への影響を問いただす声が聞こえるようになりました。
その後「緑の党」は、ソ連で起きたチェルノブイリ原発事故に衝撃を受けた国民からの支持を増やし、1998年には初めて連立政権に参加。政権与党となりました。そして2000年には、歴史的成果と言われる「原子力合意」を電力会社との間で実現。「すべての原発を稼働開始後約30年で停止する」という協定が結ばれたのです。
しかしそのような決定を受けても、懐疑的な人はたくさんいました。
「どうせ石炭に頼るんでしょう?」「再生可能エネルギーだけでは、電力供給は不安定になる」「隣のフランスから原発で発電した電気を買うことになるだけだろう」「電力価格が上がれば産業はどうなるの?」など、ドイツのような工業国が再生可能エネルギーだけで電力需要を賄うのは、非現実的と思われていました。